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南紀太地浦 子持ちくじら土鈴: 抱壺庵




入手場所:小倉家
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町築地4-2-4
TEL:0735-52-0650


パンダ好きの嫁さんから「アドベンチャーワールドに行きたい」と言われた。
アドベンチャーワールドといったら和歌山県だ。
郷土玩具も視野に入れて綿密な計画を立て、いざ和歌山へ…

南紀白浜空港でレンタカーを借り、パンダを堪能した後は宿泊先の那智勝浦までドライブ。
レンタカーを返却してコンビニでアルチャージ。



その後、郷土玩具を製造販売する土産物店「小倉家」さんに行った。
広めの店内、「くじらの町」らしく鯨関係の郷土玩具がたくさん並んでいた。
感じの良いおばちゃんが色々な話をしてくれた。








南紀太地町は江戸時代から続いてきた捕鯨の町。
日本の古式捕鯨発祥の地なんだって。



購入したのは親子鯨の土鈴。
正式名称は「脊美鯨児持(せみくじらこもち)土鈴」というようだ。



同封の栞に「脊美鯨児持土鈴」の由来が書かれていた。

鯨類、特に脊美鯨は母性愛が強く、特に児持の時は児を想う一念から外敵に対し凶暴になり、古来より児持には手を出すなと云い伝えられて居りました。
明治11年12月24日、巨大な脊美鯨を発見した太地浦の鯨方は師走をひかえ不漁続きの折柄とて危険を承知の上で網で取り巻きましたが、何しろ今迄に見た事もない巨大な鯨との事とて、時間がたち夜になり、それに加えて強風という悪条件のため船が転覆し、或いは遠く八丈島まで流され死者行方不明を合せ百十一名に及ぶ犠牲を出しました。
此の事は太地浦始って以来の大惨事であり、是れがきっかけとなって1606年鯨方創始者和田頼元以来300年近く営々と築きあげて来た太地鯨方があえなくついえ去りました。
脊美鯨の母性愛に挑戦して敗北を喫した太地浦鯨方の悲劇です。
それ以来「脊美の児持は夢にも見るな」と 云い伝えられています。
鯨はお産をすると、あたり一面文字通り血 の海となり、その血を嫌って母鯨は鰭で児を抱いて飛魚の様に空中を飛び血の海より脱出するようです。
その母性愛の強い脊美鯨の姿を模して此の 土鈴を作りました。
安産、育児のお守として末永く御愛玩下さいませ。
頭部の紋様は太地鯨方の宗家和田家の紋所です。

南紀太地浦 抱壺庵




1878年(明治11年)、母鯨の母性愛の強さと悪天候が重なり111名もの漁師が犠牲になった海難事故「大背美流れ」
1606年から300年以上続いてきた太地浦の古式捕鯨がここに終わった。


笑顔で優しい顔立ちの母鯨。
口の部分が鈴口になっていて、お腹には「太地浦」と書かれている。



右側には可愛らしい子供の鯨がいる。
母鯨がしっかり右ヒレで抱えている様子から母性を感じる。



この土鈴は安産、育児のお守りとなっているようだ。



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